今回のフランス行きは、2005年の愛知万博の広報活動など「ビジット・ジャパンキャンペーン」の一環として行われたフェスティバルに参加するためでした。日本からは、東京代表として警視庁音楽隊、愛知万博のキャラバン隊と愛知県警音楽隊、書道家の吉川さん(NHK大河ドラマ「武蔵」の題字の作者)の参加と毎日新聞・三菱地所・JR東日本・東京海上火災・東京ガス・プロミスの協賛でPR活動が行われました。

ルーブル編
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カルーセル門・エッフェル塔編へ

(Nikon D1とD70にて撮影:使用レンズ18−35/35−70F2.8/80−200F2.8など)


(特別協力:ANA)


9月23日
成田空港にて。これはJFK行きのポケモンジェットです。
我々が搭乗する便はとなりのNH205便でした。
今回もANAが特別協力ということでのスタートとなりました。
新潟上空を抜けたNH205便は奥尻島、礼文島沖を北上し、
離陸後約2時間でシベリア上空に出ました。写真はハバロフスク付近です。
そして、北極圏まで行きます。
ここはノボシビルスクの付近、何千、何万という名前も無い湖が太陽の照り返しを受けて輝いています。
こんなところにまで、民家があるのには驚きました。
そして、北極海です。
手前には、無数の湖がたたずんでいます。
エストニア上空を抜け、スウェーデンに入りました。
この後、デンマーク、ドイツ、などの上空を通り、シャルル・ドゴールへの到着は、ほぼ定刻でした。
そして、パリといえばルーブル。
今回ほとんど自由な時間はありませんでしたが、パリに行けば必ずといってよいほど通っています。
正面(見えづらいですが)のピラミッドが正門です。増築に増築を重ねたルーブル宮にこれといった正門は無かったのですが、年々増える観光客にゲートはパンク状態で大きなゲートが望まれたのですが、まさか宮殿のどこかを壊すわけにもいかず、地下から入れるピラミッドが作られました。
当初は、「こんなものを・・・」と嘆いていた層も最近はだいぶなじんできているようです。
ここは、ちょうどピラミッドの内部、頂点の真下になります。
ちなみにルーブル宮は写真の撮影は自由です。
(但しストロボ撮影はだめです・・・が、モラルの問題なので係員も注意はしてまわりません。)
ちなみにここで評判が悪い外国人は、順不同で日本人、アメリカ人、イタリア人、韓国人、中国人と言われていますが、確かにその通りでフラッシュをたいて撮影しているのはだいたいその5カ国の人です。
ここは、ルーブル宮の地下を掘削した際に出てきた。およそ700年前の基礎の部分になります。だいたい、このブロックの壁の厚さは4メートルくらいあります。用途はほとんどが牢屋や宝物庫になっていたみたいです。
当時の生活用品や、折れた剣などもたくさん発掘されました。
中でも一番の秘宝は、この金の兜。
おそらく、戦勝凱旋パレードの際などに使われたものだと想定されます。
そして、これは有名なミロのビーナスです。
当日はものすごい人だかりで、撮影には一苦労でした。
このビーナスは、宮殿などの装飾用の輸出品でした。後期の作ですが中期の姿をしているのは、辺境まで最新のデザインが行き届いていないので、ニセモノと思われないようわざと古いデザインで作られたものだと考えられます。
残念ながら手が折れていますが、この時代の他のものとの比較などや像の状態を考えると、おそらくリンゴを持っていたのではないでしょうか?
後姿です。
背中の一部がはげていますが、これは貝などが付着していたためです。
像はうつぶせの状態で海底の泥の中より発見されました。
彫刻を発展させたのは、解剖学だといわれています。
男性のものが先で、女性はさすがに抵抗があったのか少し遅れてのスタートになります。
教会から、許可をもらい罪人を恐る恐る解剖したことが、後に医学や美術を進化させました。
これは、まだ解剖学の技術が導入される前の彫像なので、全体があっさりとした作りになっていて、人間の体の一部と呼ぶには不十分です。
絵画は、ずっと後になってのスタートになります。
当時は、木の板の上に平面的な絵を描いたものがほとんどです。
聖母マリアの絵を描いたものが多く見られますが、当時の絵の彼女の表情はほとんどなく、神の母であり人間離れしています。
やっと、この時代までくると少し人間らしい表情を持つようになってきます。
これは、漆喰の上に描かれた絵です。
宮廷の女官から、修了証書のようなものを渡される貴族の子女です。
彼女たちは、嫁ぐ前に15歳くらいで宮廷に見習いに出されました。
画家は自分が一日に書ける量を計算し漆喰を塗り、半乾きの漆喰の上から絵の具で描いていきました。
これは、ダビンチの作です。
彼の職業は何でしょうか?画家はおそらく10番目以降で、本業でないことは間違いありません。彼のIQは400以上あったといわれ彼の創造したヘリコプターにしても、コンタクトレンズにしても理解されるのは20世紀のことになります。絵をひとつ描くにしても彼は絵の具に徹底的にこだわりました。
そのため、彼の絵は退色しオリジナルの色のものは残っていません。
イタリア生まれの彼は晩年フランスに招待され、フランスで没します。
売る気の無い絵を彼は何枚か持参しますが、それが今でもルーブルに残っています。
ダビンチの絵が4枚並ぶのはここだけでしょう。
これは、超がつくほど有名なモナリザです。
この絵は、見る側の当日の心理状態によって表情が違って見えると言われています。そういわれるという事が、彼の絵においての結論と言えるのではないでしょうか。
(ちなみに、ストロボが反射してますが、となりの観光客のもので自分のではありません。)
この絵は1974年に日本に来たそうですが、その際、日本の文部省は万が一を考えてガラスケースに入れて公開したところ、フランス政府はいたくそれを気に入り以後、ガラスケースに入ったまま展示することになったといういわくつきです。
この絵も、一度盗まれたことがありますので特別待遇をうけていますが、その絵を借りられた日本はさらに特別待遇を受けたといえるのではないでしょうか?

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